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「恋と愛」
よく、恋と愛はどう違う?!というような類の事が雑誌で取り上げられている。
結婚と恋はイコールか?!とかね。私はこの件に関しては正直分からないと思う。
結婚は流れという見えない力が働くし、いくら好きでも結婚できない恋はたくさんあるからである。
実際結婚しておきながら、こんな事を話すのだけど、昔とっても結婚したいと思った恋人がいた。
彼とはとても短いつきあいだったけれど、彼を永遠に自分の物にしてしまいたいという気持ちがあった。
しかし、彼は私のその気持ちには答えられないと言って、その後、少しして別の人と付き合いだしてとうとう結婚してしまった。その時の、告げられた朝のことをよく覚えている。すごく悲しかった。
彼が結婚した時、私は私でちゃんとパートナーがいたにもかかわらず、悲しかったのだ。
あんなに結婚には興味ないと言っていたのに・・・どうして?!みたいな(笑)
私も人並みな感情があります。私の知っている彼女を選んだこともショックだった。
私はその時、妙に「これは恋だな・・・恋だったんだな。」と思った。
私は彼自身を好きでいるというよりも、彼を好きで好きで苦しい自分に酔っていたとも言える。
彼の内面で繰り広げられている渇望間に私は気付こうともせず、自分に振り向いてほしいと言う一方的な「望み」をぶつけていたのである。
恋は心という字が下に来るように、自分の望みが隠されていることを言うのではないだろうか?
それでは愛とは何か?
愛というのはとても広い言葉だ。
広すぎて掴めない。それが愛の正体。愛は形を知らないのだ。
母親が子供に無償で自らを捧げていく行為は代表される愛の形だろう。
しかし、そんな大それた事でもなく、町を歩いていて「風が気持ちいい」とか「星が綺麗だ」とか誰かにお礼を言う時や日常のほんの些細なところにも愛はたくさんあふれている。
自然に溢れるのが愛なのだ。
私は彼が結婚してしまってから、本当の愛の形を自分なりに表現してみた。
私も自分の足でここに立ち、幸せになり、彼の幸せを心から祝福することは、あの日傷ついた自分を受け入れる事だったのだ。愛とは受け入れること。
しかも愛には段階がある。
まずは自分自身を愛さなければ、受け入れなければ他者を愛する事も、受け入れることもできないという事である。
私も類に漏れず、人はそれを勘違いする。
受け入れることと、妥協することを混同している気もする。
愛という字に心が真ん中にあるように、心には、下心も上心もなくただ真ん中に存在するのが愛なのだ。
人間はその真ん中にある愛を探し、時に、恋をし、心を下にも上にもさせながら成長していくのだろう。 |
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