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「私。」

私は・・・と男女を問わず頭につけて話す。英語で言えば I AM。
隣の人もそのまた隣も、見知らぬ人もみんな私って不思議。
みんなが宇宙の共通言語のように「私」というコードを持っている。

私は・・・だ。と語り出すときに私は自分の中心に帰ろうとする自分の何か魂を感じる。
魂とは大げさな!と思われるかもしれないが、元の私、裸の思考というか、魂なのだけど。
最近は世界の情勢や景気などでとてもじゃないけVERY HAPPYとまでは世の中が浮かれては居ない。
実際に世界を見上げても、自分の足下を見ても、胸が痛む出来事は多い。

世界規模ではイラクでの戦争。アフガンでの空爆。もっと追求していくと戦争が終わってその国に続く苦しみは波紋のように広がり続ける。例えばベトナム戦争後、国の再建にたくさんの他国が関わった。
貧困になってしまっている国民は食べ物さえもままならない生活で、女の子は10代前半から売春する。
避妊に無知な子供たちや、女性達は、エイズ感染してしまう。子供を妊娠しながらエイズ感染し体内の子供も感染してしまう。母親は子供を産み、早い時期に死んでしまう。残された子供は孤児となるのだ。

戦争は怖ろしい。命を奪い、バラバラにして引き裂いていくのだ。
私が2つの反戦ライブに出たいきさつはここにある。
私達の記憶を受け継ぎそのまた次へと伝えてくれる子供達がこんな目に遭っていて平気なんだろうか?
という問いかけ、そして自分の不甲斐なさへの抵抗だった。
偽善だの何だの言われても関係なく、私は行動することを選んだ。
しかし無力な私はその荒れ果てた戦場に行くことは出来ない。

でも行けなくても思い、行動し何か伝えていければ?とそう思った。
私という名を持つ私達宇宙のかけらはみんな繋がっていて、バラバラではない。
その私というたくさんの存在が傷ついているのだ、何かしたい。
日本に居ようが、アマゾンに居ようが、そんなものは本当は関係ないのだと思う。
みんな一つなのだ。すべては私という名字がつく私達なのだ。
最近、私が自分で体験して思ったことがある、実生活での話。
何でも団体で生活すると不思議と、人間は分裂する。これも1種の細胞分裂みたいなものなのか解らないが。

そこで登場するのは「あなた」という存在だ。
あなた。あなたとはとても良い響き・・・。しかし私達はそのあなたという存在に傷つけられる。
あなたという存在は私という存在を映す触媒のような役目。
ついこの間長野の神社に行って1週間の修行をさせてもらった。(修行と言っても水に打たれるとかではなく、お作法を習ったりする事。)
何十人のグループでやはり派閥めいたものが出来る。まるで小さな社会の中の会社のように。
誰かが悪口を言っているだの、妬みだの、被害妄想だので私は久しぶりにネガティブシンキングの中で疲れた。

そうしたとき、必ず自分自身も、毒々しくなっていく。
人間は自分の中の恐怖感、とても広い範囲での恐怖感で、人を操ろうとする。
私が、私でなくなるような一種、マインドコントロールをかける。
たくさん、日常には罠が仕掛けられていて、用心しないと私達は安易に罠に捕らえられるのだ。
解りやすい例は学生の頃のグループ内で喧嘩して何とかして誰かを味方に付けたいからと、その相手が「あなたにこと悪く言ってたよ」なんていうのは典型的なコントロールだ。

人のせいや、自分が傷ついたと主張したりしている中で、私は自分の毒々しい自分自身の声に疲れた。
他人でも環境でも何者でもなく、「私」という存在が個人としての私の中でねをあげていた。
何で人間は、自分という軸の真ん中、すなわちそれが私という部分なのだが、そこにすぐいられなくなり、あなたというものの、領域に惑わされるのだろうか?と考えた。

私はそこで行われているすべての事が遠く感じた。
ドライに考えて、私にとってこの人達に合わせることが大切なことではなく、私は私で居ることが一番大切な事ではないか?と。
その考えに達した時何か、すべてが許された気がした。
私という存在を大事に人間は生きて行かなくてはいけない。
世界中みんなが持っている共通の存在なのだからと。。

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    [改装日 2003.6.16]