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「自己同一化」
自己同一化という言葉を聞いたことがあるだろうか。
私はこの同一化というものの本質を探っているうちに自分のそれに気がつき始めた。
色んな種類があるとは思うが人は皆それぞれの意識のパターンというものをもっている。
それは過去におけるデーターであり未来におけるデーターではない。
過去にあれをした事がある、あれはうまくいった、聴いた事がある、見た事がある、触った事がある、などなど、その他の色々なものである。
過去は安全である、過去はもう自分を傷付けはしないし、傷ついた事があったとしても、もうそこを通り過ぎているからとりあえずは安全なのだ。
しかし未来は・・・。
未来は何が起こるか分からない。もしかしたら傷つき、戻れないかもしれない。
そう感情が過去のデーターではじき出し経験したことがないあるいは、自分が想像も聴いたことのない事に関しての冒険に対してはとても慎重になる。
そこで出てくるのが同一化だ。
例えば一人旅に出ようと決心するとする。
そうすると、楽しいはずの想像が不安ばかり想像してしまう。
英語は話せないとか、迷子になったらとか、飛行機にちゃんと乗れるかとか、もうあらゆる不安が頭を駆けめぐる。
そして心の声がする「そんなに苦しんでまで旅行に行くことないじゃない」「やめちゃえばいいよ」と。
本人は揺れる。
それを誰かに相談する。
すると人はこれもおかしな物で、自分より飛び抜けて飛び越えていかれるのが面白くなく感じる。
これは羨望という種類になるのか。
その羨望をあからさまに見せる事が出来ないから
「その国は危ないって聴いたよ、やめといたら?一人で行くのは無理だよ」なんて言われ、本人は過去のデーターで考える。
本で見た情報、聴いた情報、自分が行った過去の海外旅行を考える。確かに怖い。
無茶かもしれない、そして考えすぎて自己同一化が完了する。
「やっぱりやめた」という風に。
もっと分かりやすく言えば今自分が怒っていると感じたとする。それを思い切り自覚する。
そうすると怒りはじゃんじゃか燃え上がり、自分の感情がその火の中に入ってしまう。
そうすると、自分が一番可哀想な人間であるように感じたり恵まれてないと感じたりするのだ。
同一化というのは実に多くの顔を持ちながら私達の中にはびこっている、恐怖心の正体でもあるとも言える。
私にもたくさんそういう側面がある。
しかし、なるべく自分の感情に過剰に反応したり興味を持たない訓練を自身がやっていかないと、これから先長い人生の中で自分自身が目的に遠回りをする。
私はそう思う。
過去からのエネルギーというものは郷愁に似ている。
しかし未来は無限という光を放つ。
人はどうして、無限よりも郷愁である制限を選ぶのか?
それは感情が織りなす罠である同一化における恐怖心なのではないか。
それが分かっただけでも私は暮らしやすい。
同一化を完全に無くすまでには多分神様クラスまでの年齢を重ねなければいけないし、生きてる限り多少はあることだろう。
しかし、今自分が何に対して恐れを抱き前進できないのかを知る事はとても大事だ。
感情というものは生きている。だからあらゆる方法で私達を操ろうとするのだ。
何も危険なことなど未来にはない。
自分の感情が危険にしてしまい危険を選ぶのだったら、
その逆の安全を選べたらそれでいいのだから。
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