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「古くなった人間関係」

私は人間関係までもが消費期限があるなんて言うことを、数年前まで知らなかった。

本当にそれは食べ物と同じ、まだ熟していないとか、おいしく食べれる期間とか、早く食べなければいけない時期とか、もう腐りかけてるとか、完全に腐ってるとか。
そんな風に人間関係なんかにもやっぱりあるんだな。

しかし私達はこの物質社会において、たくさんの物を所有し、たくさんの感情を所有するあまりに、それらを手放すことも出来ないし、見切っていくこと、余分な物を削ぎ落としていくことをしない。

昔、「捨てる」という本があったのを知っているだろうか?
あの本は私の中でもかなりのいい線をいっていた本で、未だにその内容を覚えていて実践するときがある。

その本に書かれていることは要は、「いらなくなった物を捨てましょう。家の中に何年も着ていない服や、溜まっている雑誌。昔の恋人の電話番号、ぜーんぶ捨てましょう」といった本なのだが、私はその考え方はある意味で法則に基づいている気がする。人間にはもてるもの、もてないものの量、キャパシティが決まっていると思う。

お金も、人間関係も、知識もすべて。
お金にしたって使わないと私達の元に帰っては来ない循環がある。投資して収益を得る。
知識も使ってこそ情報となり、生きてくる。知識は持っているだけだとただのデーターに過ぎない。
使う事で新しいものが訪れて来る。

捨てるという表現ではないにせよ、それは手放しの行為だと思う。
手放しは捨てることに似ている。何を捨てるのか?それは我欲である。
お金、人間関係、知識、あらゆる個人的所有に対して、我欲を捨てるのだ。

捨てるとアラ不思議、循環が始まり、私達に新たな物が届く。
そしてそれをまた消費期限の中で巧く使いまた自然に脱ぎ捨ててゆく。これが人間の変容だろう。
しかし、もう一方で、「捨てる」っていう観念は裕福な国の発想でもあるという事に気がつく。

インドに行ったときにそれを痛感した。
あの国は貧富の差が激しい。
私の出会った人達は、決して裕福ではなかった。
ボロボロの傘や、履き込んだビーチサンダル。

その時に思った。
何でも捨てると言って、電化製品やプラスティックまだ着れる服や、靴や、色んな物を捨てている私達。

何て物に対して無責任なんだろうと。
昔、神道ではすべてのものに魂が宿っていると言われて、それが信じられていた。
その物を、買うことや、持つことはすべて魂を持つことに匹敵するという観念を私に体験という形で見せてくれたインドの人々。

彼らはシンプルなものだけに囲まれて生活している。
だから余計な物はないし、余計な人間関係もない。
インドの村の中でシンプルさに囲まれたときにふと、自分の中で古くなっていた人間関係を思い出した。

「ああ、もう潮時かもしれないし、交差点まで来ていて私達は別のルートを選択するのだ」とも思った。

そんな気持ちになれたのは、多分、余計な物を持たないと言う暮らしを体感して、余分な物を一瞬でも削ぎ落としたからだとも思えた。

捨てる前に結局、よく考えて買うという事や、先を考えて深く交流は考えて行くべきものなんだという事を今回は少しだけ悟ったかもしれない。

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    [改装日 2004.2.16]